少年スポーツ 休むのは悪?

思うこと

友人の子供が野球肘になったそう。

病院に行ったところ、野球肘と診断され、練習を休んで治療すればすぐよくなるとのこと。
重症ではないそうなので、すぐに治るならよかったねと話を聞いていたのだが、そう単純ではないようだ。

その子(男の子)は6年生で、最後の試合が控えているが完治させる時間は十分にある。
病院に通って早く治せば最後の大事な試合も全力でプレーできるだろう。

しかし、その子の所属するチームの指導者は、「通院するために練習を休むなら試合には出さない」という考えを持っているそうだ。
痛みを我慢して練習に参加する、もしくは他のチームメイトのサポート(雑用)のために練習日は必ず来ること・・・というのが試合に出す条件だとか。
私としては「なんで?」と思ってしまうのだが、チームの他の保護者達も同意してみんなそれが当たり前と考えているようだ。

痛いのを我慢して練習を続けるのが美徳という考えなのか?
症状が悪化してしまったり、肝心の試合で充分に実力を発揮できないとは考えないのか?

その指導者としては、休まず練習に参加することが「やる気の証明」であり、理由はどうあれ練習を休むのは悪であるから、そのような子供は試合には出さないのだそうだ。

私が子供のころ、家族旅行のために練習を休んだ野球部の同級生がレギュラーを外されたという話を聞いたことがある。その同級生のポジションはキャッチャーだった。私は野球の事は全く詳しくないが、キャッチャーとはそんなに簡単にレギュラーを入れ替えできるポジションなんだろうか?監督の「練習を休むのは許さない」という断固たる思いが感じられる。
子供心になにか理不尽さを感じたこの出来事は今でも自分の中で引っ掛かっていて、今回の出来事を聞いて真っ先に思い浮かんできた。

友人の子供はもともとスポーツが得意な方ではなく、3年生からチームに所属していたものの試合に出られたのは6年生の後半になってから。レギュラーの子がケガ(全治2か月)をしてしまった結果、初めて出番が回ってきた。
もちろん実力的に元レギュラーの子より見劣りするし、試合経験も乏しいのでスムーズに体も動かない。
チームとしては友人の子供を少しでも上手になるように鍛え上げたいだろうし、練習も休ませたくないという思いはあるだろう。

ただ、治療もおろそかにして、痛いのを我慢したまま練習をして果たして上達するだろうか?

練習をサボって休む子もいるだろう。そういった子がレギュラーから外されていくのは仕方がないことだ。本人の情熱が失われていているのだから。人よりも試合への情熱をもった子供にチャンスが回ってくるのが当たり前。

しかし友人の子供は違う。
初めて試合に出られてとても楽しかったし次の試合もやる気十分だ。たとえ活躍できなくてもミスをしたとしても、試合に出られたという経験は本人にとって特別なものだったようだ。その子の両親(私の友人)も、初めて試合に出られた我が子の一挙手一投足を見られただけで感動していた。ヒットも1本打ったと嬉しそうに話していた。その子のスポーツへの情熱は今がピークだろう。

喜んで試合に出てスポーツを楽しんでいた子供が運悪くケガをした。
治療すれば試合に間に合うのに、治療のために休めば試合には出られない・・・

私の友人はそういうものだと半ば受け入れていたが(何年にもわたって似たようなケースを見て来たのだろう)、部外者の私は話を聞いているだけでなんだかやるせない気持ちになった。

私の子供はまだ小さく、特定のスポーツをさせてはいないし、させるつもりもない。
私の考えとして、子供が楽しんで体を動かせるのであれば特定のスポーツにこだわらなくてもいいし、様々な競技を経験する方が身体の発達に有益だと考えるからだ。
その分、いろいろなスポーツや体験に触れさせる機会を作ろうとは意識している。
スポーツによって精神面が鍛えられる、礼儀が身につく、という意見も聞くが、精神的な成長や礼儀なんかは家庭単位で養えるものだと思うしそうするべきだと思う。

スポーツをしている子供たちの話を周りから聞くことがあるが、身を置く環境が合わないパターンもよく耳にする。
友達と楽しくやりたい子が勝利至上主義のチームに入ってしまっては窮屈だろうし、チームの決まり事や指導内容が子供にとっての「絶対」になってしまうと、逃げ場が無くなり思い詰めてしまう子もいるだろう。
昔聞いた話では、小学校の野球チームに所属しながら引退まで一度も試合に出してもらえず、中学校に入ってからはスポーツ自体をやめてしまった子もいる。はっきりとは口にしなかったそうだが、野球自体が嫌いになった様子で、親も強く勧めることはできなかったんだとか。

小学校・中学校のうちは、スポーツをするなら友達と楽しく過ごしてくれればそれで充分だと思っている。その中で何か得るものや気付くことが自分なりにあるだろうし、その延長戦で勝利の喜びが知れれば最高だ。勝つことが最優先になると肉体的にも精神的にも苦痛が生じてくるだろう。
少年スポーツの指導者も様々な考えを持った方がいるだろうが、精神と肉体の育成の場と考えるなら、上手ではない子にも試合出場のチャンスを与えるべきだし、ケガをしたらメンタルと身体の両方をケアしながら復帰に協力するべきだと思う。小学生のスポーツはケガを押してまでやるべきものでもないし、我慢を強いて続けてもその子に何が残るのだろうか。

子供のスポーツが生活の軸になっている家庭もあるだろうし、スポーツが人生の指針になっている人もいるだろう。
そういった考えの人とは相容れないかもしれないが、私はスポーツを休むことは悪いことだとは思わないし、スポーツ以外に興味が向いたらどんどんどちらに行ってもいいと思う。
ケガをしたなら当たり前に休ませればいいし、治ってからチームに帰ってきやすい環境を整えてあげればいい。
家族旅行も大切な思い出になるし、スポーツ以外のイベントへの参加も大賛成だ。何が子供の心に響くかわからないし、どんな才能が隠れているかわからない。

一つの分野で成功したり有名になっても、その世界しか知らないなら世界は狭いままだ。
特に子供は家庭と学校(とスポーツの場)が世界のほとんどを占める。
それが塾だったり習い事だったり、学区の違う友達だったり、親以外の大人との関わりだったり、そういう関係が増えていくことで世界は広がっていく。
学校ではうまくなじめないが塾では輪の中心だったり、同年代とは趣味が合わないが親子以上に年の離れた大人の友人がいたり・・・そういった例は多いはずだ。
居心地が悪かったり自分が正当に評価されていないと感じた時に、自分の居場所はここだけじゃないと考えられるような柔軟性を自分の子供には持ってほしい。
決してスポーツなどの一分野に世界を限定せずに、たくさんの世界を持ってもらいたい。

高校野球の強豪校で、三年の最後の大会でベンチにも入れず、スタンドで応援している生徒がかわいそうだと問題提起された記事を以前に読んだ。
試合に出られないと分かった時点で部を離れて本人の時間を生きる自由があってもいいのではないか・・・
記事を読んだ時、野球部に属した経験が無い私としては「そうだそうだ!」と全面的に同意した覚えがあるが、今では少し考えが違う。
3年生の最後の大会でスタンドで応援している子のほとんどが、恐らく小学校からずっと野球をしてきた子だろうし、強豪校で野球がしたいと親元を離れてやってくる子も多いだろう。人生の多くの時間を野球に費やしてきているのだろうと容易に想像がつく。
自分が3年間一度の試合に出られないなんてことは、たぶん2年生の半ばくらいからうっすら自分でもわかってくるのかもしれないのに、それでも野球から離れずにいるというのは、野球が好き、そのチームが好き、というのもあるかもしれないが、野球をやめたところで、野球以外に何をしていいのかわからないのではないだろうか。
これまで積み重ねてきた時間や努力もあるし、応援してくれた家族の期待を裏切りたくないという気持ちもあるだろう。
ただ、今まで歩いてきた野球という道に行き止まりが見えたとしても、他に行く道が無ければ今の道を進み続けるしかない。野球の他に世界を知らなければ、その世界に居続けるしかない。

スポーツに限らずだが、物事に行き詰った時、これまでのやり方に固執せずに方向転換できるフットワークの軽さは重要だ。
方法を変える、場所を変える、相手を変える・・・
移り気で何も成し遂げられないのでは困るが、今は昔ながらのやり方が通用しない時代だ。子供を持つ親としても、これが正解だと子供に指針を示すことが難しくなってきている。
だからこそ、昔のやり方や考え方に子供を突き合わせる必要はない。子供のためを思えばこそ、凝り固まった自分の考えと違う意見を子供が持てばぶつかることもあるかもしれないが、お互いに話し合って柔軟な解決法を見つけるべきだ。
練習くらい休んだっていいし、苦しむくらいならちょっとくらい自己中心的に生きたっていいと思う。

これからうちの子供も何かスポーツを始めるのかもしれないし、全く違うことに興味がわくかもしれない。
何をやるにも子供の自由だが、それが世界のすべてじゃないと気楽に楽しんでほしいものだ。

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